昨日、AIエージェントによる疲弊に関するメモを書いたけど、そもそも、この手のAIの進歩についていくことが、とても大変という印象がある。
かつてウェブフロントエンドのフレームワークの乱立でトレンドが目まぐるしく変わっていく時代があったけど1、その比ではない。
面白い時代といえばそれまでだが、ネットに齧り付く時間は増えているわけで、ちゃんと向き合い方を考えないとね、みたいなポストになるほどと思った。
Opus 4.5 が出た昨年末あたりから明らかに潮目が変わった感じがある
— naoya (@naoya_ito) February 12, 2026
毎日あちこちで驚くような進歩があってコンピュータの前から離れられない
この劇的で加速度的な変化に対して精神的にどう付き合っていくか哲学を確立しないと病んじゃう気がする
自分たちが100かけてやっていることを、AIエージェントを駆使したライバルが10とかもしかしたら1とかでこなしているかもしれない、というFOMO2をみんな感じていて、その状況を冷静に見ることは、それはそれでとてもエネルギーを要する。
自分探しみたいな哲学的な問いに対する関連研究として、リプライで以下の論文が紹介されていた
As Answers Get Cheaper, Questions Grow Dearer
かつて写実的な表現が主流だった芸術に対し、印象派と呼ばれる画家は表現そのもののへの問いを再定義した。これは写真技術が進歩する中で、芸術に「解釈の手段」と言う役割を与えた。
LLMも、写真が写実のコストを下げたのと同様に、質問への回答コストを引き下げたとすると、ここで問われるのは「良い質問」をする能力、つまり本質的な「問い」を組み立てる能力である。
- コールセンター: アドバイスの質によっては利益の減少につながる。質問が曖昧でも文脈を理解する能力が必要とされる
- コンサルティング: 質の高いコンサルティングを受けるには、良質な質問をする必要がある
- リスキリング: 探求する領域の探索と深掘りの2つに対して、適切な問いを立てる能力が必要とされる
こうした良い質問をするには理論的基盤が必要であり、新たな知識は分野をまたがることから生まれる。LLMは分野をまたがるような理論的基盤の補助に有用であり、こうした部分で活用できると、ヒトの良質な問いを続ける能力はさらに強化されるかもしれない、と説く。
FOMOに対しての問い
日々アップデートされるAI技術の中で、「良い問いかけ」をし続ける、そのためには本質的な理解のための理論を疎かにしない、あたりが、FOMOに対する一種の精神的な防壁なのかもしれない。
A Canonical History of Web Frameworks - Curotec こちらのブログで言うところの、“Era 3: Frontend JavaScript Framework Wars – Round One (≈ 2010–2015)“と"Era 4: Frontend JavaScript Framework Wars – Round Two (≈ 2015–2020)” ↩︎
Fear Of Missing Outの略。要は取り残されることへの恐れ > FOMO - Wikipedia ↩︎
